ママは幸せだよ★★★カイロの治療を受けた。もとはと言えば・・カイロプラティックが事のはじまり・・ ある日私は;;体の不調を感じてふと目にした カイロに行った。 そこは。。地元のサッカーのFC東京の選手の サポートもしてる先生だし、 大丈夫かな?って思った。 そして。。その先生は私を見ると 体の左が悪いでしょう。 左部分、、顔面やら首やら腰やら 左が悪いと言い、 すぐに私はベッドに横になり ボキボキと音を立てて 治療が始まった。 大丈夫かな?って思ったけど その時は何とも無かったんだ。 帰ると軽いめまいがして、 ちょっと。。貧血の酷いのみたいに、くちゃって倒れた。 それで!これ!おかしい!って思って すぐにカイロの病院に電話を・・ すると~水をいっぱい飲んでください、ってそれだけ。 その次の日に私は救急車で 真夜中に遠い病院に運ばれた。 レントゲンを撮ると何も無いと怒られた。 行きは救急車だし、薄手のTシャツ一枚、 帰りは電車で寒くてみすぼらしかった。 でも~夫が付き添ってくれていた。 しかし・・具合は更に悪くなり まともに歩けなくなった。 にっちもさっちもいかなくなり 遠かったけど又同じ病院に通院。 MRIを撮った。 そして、又後日、、病院へ行った。 結果。。。。。先生は・・・ 困った顔で~ 頚椎損傷だと私に告げた。 治すにはどうすれば・・・と私がおそるおそる聞くと これはペイン科(痛みを取るための注射を打つ科) に行くしかないでしょうね。 私が紹介状を書くので大学病院に行ってください。 と紹介状をもらい、レントゲンを借りて そのまま帰宅した。 そして、調べた結果・・ 病院は遠かった。 近くの病院にはペイン科(麻酔科)は無かった。 頻繁に行かなきゃならないので通いきれないと判断した。 それで保健所に電話をして ペイン科(麻酔科)のある病院を探した。 たまたま近くの総合病院を教えてくれて、 すぐ様電話をした。 先生は。丁寧な応対をしてくれて 次の土曜日に来てくださいと言った。 非公開でやってる治療だそうで、ちょっとびっくりされてしまったけど。 優しい先生で~私は全てをあずけた。。 行くと・・私は整形も受けることになった。 ペイン科の先生は 主に麻酔科で~オペの麻酔の仕事が主だったけど 午前中だけ 私のような痛みをどうする事も出来ない箇所に ブロック注射を打ってくれていた。 私は、それから~半年間 首にコルセットを巻き 週3回ペイン科のブロック注射に通った。 長い日々だった。 首に太い注射を打つのは何度やっても恐かった。 人には色々と悪口を言われて 凹んだときもあった。 時には肩や腕にも注射を一度に3本とか打った。 注射の後はベッドで30分休む事になっていた。 又整形のほうで 手のしびれや、MRIを数回、 後~握力の検査などをした。 その他にもリハビリをしていたが マッサージ等を受けると私は次の日に起き上がれない状態になった。 リハビリはペイン科の先生が断ってくれた。 (実際は整形の管轄なのだが) 半年。。経って・・ 私の首は嘘のように元気になった気がした。 ある日~先生にもう痛みはかなり治まったというと 注射をやめてみようと言われた。 でも~これからは仕事は辞めて家事に専念しなさい。 と。 後バイクには一生乗らないでください。もう面倒見てあげないよ。 と。 看護婦さんの中にも~ くしゃみをしてヘルニアになった人が居て 医療用枕のいいのを教えてもらってすぐに買ったりもした。 あれから・・・・ 私の体は見違えるように元気になった。 手も上に上がるし、後ろにも回る。 車にもバスにも乗れなかったのに、もう大丈夫。 しかし・・・根本的には治っては居ないのを痛切に感じる。 痛みは時々来る。 私の片頭痛は、肩こりは、目の痛みは、歯の痛みは 全部~首の痛みに連動してくるものだ。 幸い。。家の旦那は余り悲観的にならないタイプ。 私がどんなに具合が悪くても 気にしない。 ご飯がほか弁だったり コンビニ弁当だったりしても文句も言わない。 だけど~カイロは首を施行しては駄目だと 私は痛切に感じた。 実際にはよくなって居る人も居るだろうが 医師にも。。 カイロは個人営業で 今日から私はカイロが出来ます、と病院を立ち上げると成り立ってしまうそう。 だから~ちゃんと国の国家試験に受かって 保険治療の効く医師の治療を受けてくださいと言う事です。 私の一度の過ちは。。私の人生の中にあるべくして起こったとは思うのだが 私には。。とても大きな試練だった。 そんな時に家にヤマトが来た。 ヤマトは私がいつも具合が悪いので 朝は通院のために留守番。 でも~ ヤマトが来て元気をもらい、 私はヤマトを何処にでも連れて行った。 電車にも乗せて自由が丘まで連れていったり 吉祥寺にもよく行った。 いける範囲では私は幼いヤマトを何処にでも連れ出した。 心のあったまるひと時だった。 ヤマトはとても忍耐強いワンコだった。 私の辛い時もいつも寄り添ってくれた。 今思えば。。ヤマトでよかったけど ヤマトには。。。窮屈な思いばかりさせてしまったと思う。 それに~初めてワンコを飼うというので張り切って ヤマトにはかなり厳しいしつけをしてしまった。 ヤマトは考えるワンコになったと思う。 でも~元もと性格が穏やかで 我慢強い子だったとも思う。 おかげさまで~ヤマトは人間にも犬にもなつっこいワンコになったけど。 ローリーの来たのは ヤマトが1歳を過ぎた頃、 ローリーはヤマトと反対の性格で 明るさをくれた。ヤマトには十分癒された私だ。 私の状態が良くなり、ブリーダーさんも心配してたけど 大丈夫です、と言うと ちょっと予定より遅れちゃったけど4ヶ月でお目にかかれた。 最初に空港の籠から顔を見たら胸キュンとなった。 ローリーは私の辛い時を余り知らない。 多分解ってもそんなに~ 気を使うワンコでは無い気もするけど 天真爛漫さに私の心は更に癒された。 あの子は天使だよ。。 今~時々寝込むときもあるけど 大体元気に日に2度散歩に出るし。 旅行にもいけるようになった。 夫は私の具合の悪い時も愚痴も言わずに 毎日もくもくと仕事を頑張ってくれた。 首と言うのは怖い。 手術をしても半身不随になるケースがままある。 保険のきかないオペをすると300万は一度のオペでかかる 他にも~一回の診察代も馬鹿にならない。 成功すればいいが、それでもはねっかえりと言うのがあり 何週間もその痛みに今度は耐えなければならない。 保険医療をしたにもかかわらず その年我が家は高額医療費の確定申告をした。 人間って出会うべくして色々な人や事に逢うけど 昔~一緒にバイクの免許を取ったお姉さんが 【神様はその人に耐えられない不幸は与えない】と言っていたのが 励みにもなった。 私はいつも~ 私の生活には絶えず痛みが伴うけれども でも~ ヤマトとローリーと 働き者の正直な夫が居てくれて 良かったと思う。 古いマンションから新築にも移れたし、 ちょっとローンは大変だけど 売ったお金で15年7ヶ月もローンが減ったし。 世の中~悪い事ばかりじゃないって思う。 楽しい事と隣あわせで大変な事もあるけど それは全部私の中で消化できるって思う。 この事をまとめて書くにあったっては 私を励ますために、心配しながら ワンコを山口から送ってくれたブリーダーさんや いつも陰になり~私の事を励ましてくれている父や母に 頑張ろうって言うメッセージなんだけど この病気をこんなに詳しく公開するのは ためらいもあったけど どこか悪いところを持って生きるのも ありかなてって思うんだ。 私は・MRIを撮れば治っていないということになるとは思い 検査をしても治らないので今はほったらかしにして 有酸素運動がいいので チワズの散歩で一石二鳥でルンルン散歩にいそしんでいる。 ヤマトとローリー0^^0 頼りないママだけど宜しくね。 あなた達が幸せでいる事を見ると私は痛みを忘れるのよ。 あなた達が散歩で走っていると私も思わず走ってしまうのよ。 そんな些細な幸せが今の私には必要なのよ。 *最後まで読んでくれてありがとう* ;お休み; いつか~きっともっともっと心休まる生活に・・ |